龍やドラゴンは古今東西各地の伝説・伝承・神話に登場します。
東洋の龍は吉祥や智慧、西洋のドラゴンは悪(時にユーモラスな、時に悪魔のような)で描かれることが多いですが、龍の善悪の区別はかなり曖昧です。
伝説的な蛇と龍の線引きも曖昧ですし、蛇のような、トカゲのような、鰐のような…龍はデザインも曖昧であり、それでも「龍だ。ドラゴンだ」と認識できるなんとなくの共通点は持っています。
龍や鳳凰など馴染みある聖獣シンボルは、世界各地に普遍的に受け継がれているからこそデザイン・属性が多様なのです。
東洋の龍
東洋の龍は四聖獣の1つで「智慧」「自然・超自然のパワー」のシンボル。
龍は雲、雨、そして大河の象徴であり、陰陽五行では「陽」に分類され男性性。易経では「智慧」を表すと記されています。
秦代以降、龍は皇帝のシンボルでした。漢の高祖・劉邦の母親は自分の上に「赤龍」が乗る夢を見た直後、劉邦を懐妊したと伝えられ、龍座・龍袍・龍顔…中華文明において皇帝と龍はほぼ同義です。
龍はさまざまな変化の力を持っています。風を起こし、雨を降らし、海を護り、山を支配する…アジアの自然の中にはかならず龍伝説が残されています。
天龍、海龍、龍神、神龍、龍脈…時には人の暮らしを保護し、時には破壊する。龍は自然の驚異そのものです。
- 陰陽五行では「青龍」が「陽」「春」「青」「東」に分類されます。
- 南の「朱雀」
- 西の「白虎」
- 北の「玄武」
合わせて四聖獣ですが、
- 南の「朱赤」、西の「白龍」、北の「黒龍」、東の「青龍」
と分類することもあります。
チベットでも龍(ドゥク/雷龍)は人気があり、チベット文化圏のブータン国旗は手に宝珠を持つドゥクが描かれています。「龍」と一言で言っても、ナーガ(水龍)は上半身女性で描かれます。ナーガ(龍神)信仰はインドのナーガ族・コブラ信仰が由来です。
法華経ではインドの神々がブッダの説法を聴くさまが描かれていますが、龍神も眷属を連れ仏法に帰依し、八大龍王として天部に属しています。
西洋のドラゴン
無翼で空を駆ける龍と異なり、ドラゴンは蝙蝠のような羽根を持ちます。
黙示録では聖ヨハネが「獅子はその凶暴さゆえ、龍はその狡猾さゆえ」に「悪魔である」と断じ、キリスト教では「異教」「邪教」のシンボルでした。ゆえにミカエルのドラゴン退治で知られるように「悪魔」の化身として描かれます。
(前述したように「ブータン国旗はドゥク(龍)」ですが、チベット国旗は「獅子(シンバ)」。東西問わず「獅子と龍」が並び称されるのも面白いですよね)
英雄譚では、宝物を探す「英雄(光・意識)」と対峙し、宝物を守護する「ドラゴン(悪・無意識)」は「英雄が克服する最後の課題」。
ドラゴンを退治した英雄はその血を浴び不死身の体を手に入れます。
ですが、ウェールズに伝わる「飛龍」は家や家財、そして大地を守る「守護獣」でもあり、武勇や防御、洞察力など守護獣が意味するポジティブな意味も多くあります。
多神教で崇拝されたドラゴンを、ユダヤーキリスト教が異教のシンボルとして失墜させた側面と、「豊穣を与えてくれる」「災害をもたらす」自然の二面性がドラゴンに投影されているようです。
脱皮しない蛇は死ぬ
ニーチェの有名な言葉ですね。
龍のモチーフの元になる蛇やトカゲの爬虫類は「脱皮」を繰り返します。
物理的に「自分自身を脱ぎ捨てる」ことが出来ない人間は、「脱皮」する生物から不可解な自然のパワー…「永遠」「再生」「変化」「循環」を連想しました。
不死鳥が自ら火の中に飛び込んで「再生」を遂げるように、古代の人々が「終焉と再生」を目の当たりに見せてくれる生物から受けたであろうイメージやシンボルを想像すると面白い。
真珠を手に持つ東洋の龍、宝物を護る西洋のドラゴン、どちらも「大切なものを護る」ことは共通してます。イギリス発のヒーリング・セラピーではドラゴンの地位は復活しており、
ドラゴンは「本当の自分に立ち返る」「本当の自分との繋がりを強化する」サポート
をしてくれると言われています。
真の宝物であり脱皮(成長・変化)し続けるものは「本当の自分」なのかもしれません。
龍画を描く~聖獣画一覧
龍や鳳凰など聖獣画一覧です。点描仏画C1 &C2 参加後に、お好みの聖獣画を描いて頂けます。