わたしは黄色が大好きです。
ボトルでもイエローをよく選びますが、「黄色い服」を見ると手に取らずにいられない(笑)
思えば子供の頃も黄色い服が大好きでした。ただ、有名な話ですが「羽虫や蜂は、花粉の色~黄色に誘引され」ます。
外で遊んでいるとわたしの服にだけ羽虫がいっぱいついていて、
黄色=羽虫
のイメージがついたり。反抗期になると紫や黒を好むようになったり。
いつの間にか黄色い服から遠ざかっていきました。
そのまま黄色から遠ざかり続け数10年(笑)
カラーセラピーと出会ってから数年は、カラーボトルですらイエローは選ばない。しかし、ミッシングカラー(失われた色)というほど欠けてもない。
よって「黄色を意識」することがなく「黄色い服」に手が伸びることもありませんでした。
なのに、ある時期から「選ぶボトルがイエローばかり」に変化しはじめました。
黄色は知識と独立をサポートする色
再びイエローがわたしの意識に浮上したのは「カラーセラピスト養成講座」を開き始めた頃。
当時はまず、「選ぶカラーボトルがイエローばかり」に変化しました。
養成講座を開講し始め、講師としてわたしに足りない知識や経験値が明確になり、
「もっともっと勉強したい!」
と思っていた時期です。振り返れば「知識の吸収」だけでなく、
・他者に伝えるために知識を整理する「システマティック」のイエロー
・カラーセラピーを生業にする「独立・自立」のイエロー
・上2つに対して腹を決める「自分の意志」のイエロー
多角的なイエローのメッセージが含まれていたこと(=わたし自身がそういう時期だったこと)がよく分かります。
黄色い服を着る
選ぶボトルがイエローばかりになった頃、小学校低学年以降は選択肢になかった「黄色い服」に惹かれるようになりました。
イエローボトルを選ぶ前はバイオレットが好き(イエローの真逆…補色ですね)でしたから、「意識」で考えると、
「えーイエローのボトルならまぁいいけど、黄色い服を着るなんて…」
と、理性の拒否が強くあったような気がします。
でも、本当にその色のパワーを必要としている時は、理性は感情に負けます(笑)
「気づけば(無意識に)黄色い服を買ってる」
ので、知らぬ間に黄色の服が増えていきました。
「夢見がち」「理想が高い」バイオレット時期
と考えると、
具体的に踏み出したことで明確化された「不安や心配」「それを緩和する期待と希望」も強まっていたかもしれないですね。我ながら補色バランスが素晴らしい(笑)
黄色への嗜好反応は、わたし自身の人生の流れが見事にリンクしているので面白いです。
今ではすっかり黄色い服も紫色の服も「定番化」してしまって、選ぶとか選ばない以前…「無難な色」になってしまいました(笑)
「あれ?最近妙にこの色ばかり選んでいるな…」 「あれ?昔はこの色嫌いだったのに…」
と「自分が選ぶ色」に意識が向くことがありませんか?
また、お友達と会った時 「あれ?珍しい色を着てるね」 と言う会話をしたことはありませんか?
「惹かれる色」「気になる色」には意味があります。
赤い服を着たい時、青い服を着たい時、同じ気分なわけないですよね。その色を手に取る「理由」はちゃんとあるのです。そのシグナルを紐解けたら楽しいと思いませんか?何気ないカラーチョイスの中に隠れた「自分の心の変化」を知り、人生に生かしたいと思いませんか?