今年(2016年)のメルマガは、2015年の勉強会「色の意味の構成」に入れていた「基本連想」の復習を兼ねてます。(テキストの「プライマリーアソシエーション」)
勉強会履修済みの方も、そうじゃない方も「自然の色」に立ち返ってみてください。
クリアは「(放出される強烈な)光」の色です。
わたし達が(知識も常識も格段に少ない)原始人・古代人になりきった時、この色になにを感じますか?
拡散される強烈な光
太陽の光はイエロー・ゴールドでシンボライズされました。
暖色であるこの2色は、活動性・能動性、人の営みへの近さ(人に収穫・豊穣をもたらす恩恵の光)を感じさせる色です。
また、獣脂や松明などから人が生み出し活用した光もまた「黄味のある暖かな光」でした。
イエロー・ゴールドは、人の暮らしに親和的かつ直接関与し、豊かさを与えてくれる光のシンボルです。
では「無色透明な強い光」はどうでしょうか?
頭上のはるか上にあるクリアの光は、地上に降り注ぐイエロー・ゴールドの光源でありながら、
人や地上の暮らしとは一線を画した「絶対性」を感じさせます。
傍に近づく事すらできない「厳しさ」と「完全性」、光の「圧倒的エネルギー」「パワー」。
この唯一無二の光源は、人々が信仰を持ち始めると「唯一絶対の神」「万物の祖」として位置づけられるようになります。
クリアは純化された水の色
では「無色透明な水」はどうでしょうか?
人は、ブルーやターコイズ~水、川~の側を選んで暮らしましたが、色のない水…「純粋で無色透明な水」はそう簡単に得られません。
湧水を探す・水脈を掘り井戸を作るなど、人間側が探し求め、創意工夫をして初めて得られるものです。
しかも、澄んだ水を手に入れても人の暮らしと距離が近ければ水はすぐに濁り淀んでしまいます。
ピュアなものをピュアなまま維持させるには、人の営みとは距離を保つべきなのです。
ゆえに「クリア(透徹した)な光」も「クリア(純化された)水」も、人間にとっては「最高の理想」でありつつアンタッチャブル…不可侵で「近づきがたい」「遠い」存在だったのです。
現代は、
- 水道水やペットボトルで常にそばにある「透明で安全な水」
- 室内灯のスイッチ1つで灯される「クリアライト」。
それが当たり前の時代でずが、ライフラインが無い時代「光と水」がどれほど重要な役割を担って来たか。
特に「すべての生命の源である強烈な光(太陽)」と「透明で澄んだ水」が、どれほど難くありがたいものだったか。
現代の視点を外しクリアを考えると、
なぜ無色透明の光に「神」を見たのか。
人の暮らしから「遠く離れた・完璧なる神性」としてのクリアが腑に落ちると思います。
このような「自然の色」と人類の長い長い付き合いから、「色彩象徴」が生まれカラーセラピーの「色の意味」に繋がっています。
「色の知識」に凝り固まり過ぎず、たまにはシンプルに自然の色に立ち返ると、色の本質が見えて来るかもしれませんよ♪
WHITE-TARA COLOR通信82 2016年12月1日配信済み
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